最近こんなコト聞かれたんです…
「仕事で工具握って、夜もガレージで工具握って自由な時間ないじゃん!!」
だからこう言ったんです。
「え?この不自由を楽しんでるよ、割と」って、
そしたら
「不自由を楽しむ?って…マゾなん?」
答えは、即答です。
「えっ?今さら??でも、その不自由を自分の腕と道具でねじ伏せる瞬間が、人生で一番自由になれる時なんよ!」
こんにちは、MUDDYです。
突然ですが…今回はちょっと今までの自分を振り返ってみました。
農業機械の整備士として現場に出て、気づけばもうすぐ20年。 毎日、泥だらけのトラクターやコンバインと格闘して、止まっちゃいけない機械を動かす。それが自分の日常です。
仕事においてはある程度「正解」を出し続けているはずなのに、自分のガレージに戻れば、いまだに理想という北極星を目指しながいつもちょっとズレた「北西」の道をフラフラと歩いてる。
その答えを自問自答していくと、どうしても高2の冬、あの「2台5万円の宿題」に辿り着くんです。
これから書くのは、整備だ、修理だの話じゃありません。
自分が今、どういう感情で機械と向き合っていて、なんでこの非効率で不自由でも自由な趣味をしているのかって事です。
「教える」なんて大それたことではないです。
自分が歩いてきた道のり?的な何かをここに書き留めて置いておこうと思います。誰かのどこかに刺されば良いな…
「終わらない宿題 2台で5万円のNSR250 」
思えばバイク人生の始まりは、16歳のだった。コミックの「特攻の拓」にあこがれてバイクいいいなーって中坊の頃から興味を持ち始めた。
高校に入り、16歳で原付免許を取り、すぐさま中型免許も取ったのですが、この時代、3ない運動のまっ最中。
「高校生にバイクはご法度」の時代だったんです。
おかげで停学やら呼び出しやらを何度か頂戴しました。
当時、高校生の自分は新聞配達をしていて、ひと月の給料は6万円。(休みは月2日・朝3時半~終わるまで)
当時人気だった「特攻の拓」の天羽君にあこがれて乗っていたSR、この維持費とカスタム代、


それと、車を買う為の貯金でカツカツの中、どうしても2ストに乗りたくて数か月バイト代を貯めて5万をつくった。
もちろん、いくら今よりバイクが安かったといっても、その値段でまともなバイクなんて買えるわけがない!
でも、コミックの中の世界では「アっちゃん」が廃品の山からゼファーを作り出す。
そんな非現実的なものに憧れていたアホだったんですよね~。
始まりは「5万円のゴミ」
お世話になっているなじみのバイク屋で、5万円を握りしめた自分に社長が『おいおい、その予算ならこれだぞ』って、ゆび指したのが…
置き場に無造作に置かれていた87年式のNSR250 2台
1台は書類無しの不動車で部品は、ほぼ完品。
かたやもう1台は、書付で不動のクソボロ。

今でこそ、まあまあお宝バイクだが、当時でもこの金額は割と勉強してくれたと思います。
これは…自分への社長からの『宿題』だと思って、その二台を売ってもらいました。
理由?
「どうしても2ストに乗りたかったから!」
それだけです。
今思うと、ここから、自分の人生は大きく変わったきがするんです。
「2台を合わせりゃ、1台はまともに動くようになるだろ?」と、にやけながら話す社長のその言葉を信じたのが全ての始まりだったと思います。
しかし家に届いた2台を自宅の駐車場の隅に並べて、じっくり観察した時の絶望感は今も忘れません。
当時バイク屋の置き場にあった車両も見てはいたのですが、知識「ゼロ」の自分ではただ単に「NSRだ!!」ってだけで他は何も分かってはいませんせんでした。
2台のNSRはサビと腐食であちこちが固着、カウルを止めようにもネジ穴すら生きていない。タンクの鍵穴さえまともに動かなかったし、やっと開いたタンクの中は腐った燃料の異臭が漂い鼻をつく、キャブレターは開けることすら拒んでいるような代物でした。
しかも、この時はキャブレターの仕組みなんてさっぱりでした。

さらに当時はまともな工具なんてものも持っていません。
ホームセンターで買ってきた、千円もしない安物のソケットセットと、SRとNSRに積んであった車載工具が自分の全戦力でした。あと一家に一缶556スプレー
ビバホームで買った安物工具を握りしめ、いざ固着したボルトにグッと力を込める。 その瞬間に「パキン」と乾いた音がして、大抵のボルトが折れてしまうんです。
運よく折れなかったとしても、車載のレンチやドライバーはボルトの角をにゅるりと舐めてしまう。
「あーあ、またやっちまった……」
形になるまでに、このセリフを何度吐いたか分かりません。
あの瞬間、自分の無力さに本気でガッカリしました。指先に残った「パキンッ」「ニュル……」というあの嫌な感触は、30年ちかく経った今でも、思い出すだけで胃のあたりが重くなります。
「俺の数か月の5万円が、本当にただのゴミになりかけている……」と、自宅の駐車場の隅で頭を抱えた日々でした。
この時は何とかしないとこの5万円が本当にただの鉄クズになってしまう!その焦りと、このマシンに自分が乗るという妄想だけが自分を突き動かしていました。
「命」が宿る瞬間
店で買ったバイクは、きちんとエンジンがかかって当たり前です。 かからなければ文句を言えばいいし、それを直すのはプロの仕事ですから。
当時、目の前にあるのは2台で「5万円のゴミ」です。
暇さえあればバイク屋にコーヒーを差し入れ、頭を下げて教えを請い、マニュアルを読ませてもらいながら、なけなしの金で揃えたケミカルと工具を使い右往左往。しかし実際はマニュアルを見たトコロで犬が星を見ているようなもの…
ちなみにバイク屋の社長には「もうやめな~(笑)お前はセンスないよ!(笑)」って何度も言われました。
この時、正直、自分でもやめたかったと思います。
「何をやってんだろな…」って何度も思い、下取りを調べたことも一度や二度ではなかったです。
しかし気付くともう少しだけ…といって、手をオイルと血で汚して格闘しました。
そして、ようやく火が入ったあの瞬間は、世界が変わって見えました。
メインキーをひねり、Nランプが緑に光る。
チョークを引き、思いのほか軽いキックペタルを勢いよく踏み込む…
「バランバランっ!パンパンパンッ」
チャンバーを響かせながら吐き出された青白い煙と、鼻を衝くオイルの匂い。 そしてハンドルを通して心臓まで響いてきた「ビィィィーン!」という猛烈な振動。
それは単なる機械の始動ではありませんでした。
「今の今まで死んでいたものが、自分の手で生き返った」 中途半端なダメダメだった自分の人生を、初めて肯定されたような震えでした。
この「理屈じゃない衝動」があるから、自分は今もこの道を歩き続けている気がします。
ちなみに、この瞬間を味わうまでには、結局高校を卒業する頃になっていました。
それだけ、自分の腕は未熟だったし、道のりは遠かったんです。
正直振り返ると、今ならエンジンだけなら半日位でかけれたと思います(笑)

笑われたっていいじゃん!
実は、この「火が入った瞬間」のあとに、ちょっとした続きがあるんです。
気づけば大学生になった僕は、いつの間にかあの社長の店で働くようになっていました。
最初は「磨きのアルバイト」からです。
当時、あんなに「やめとけ、センスないよ(笑)」と笑われていた自分が、卒業と同時にそのまま就職。正式にバイク屋の社員になっていました。
まさか自分が、あの宿題を出された店で働くことになるとは思ってもみませんでした。
きちんと給料が出るようになり、高校生の時に組んだあのNSRを皮切りに、少しずつ自信がついたのか、さらに少ない給料で「ボロ」を買い漁るようになりました。









この頃は、自分を試すかのように、2個イチや部品流用でボロを形にする日々。 今思えば、お金もなかったし、知識も技術もまだまだ全然足りていなかった。うまく出来ない事の方が多かったけれど、最高に楽しかった。



突拍子もない改造をして笑われ、馬鹿にされたり、ブレーキのオーバーホールがなってなくて社長に大目玉を食らったり…(あれはホントに絞られました💦)
ここで本当に修理、整備の怖さとそれを行いお金をいただく責任が身に沁みました。
しかし、それでもやっぱり形にしていく楽しさは最高でした。
街中の信号待ちで高級車が隣に並び、隣のドライバーやライダーが自分のバイクを笑おうとも「えへへっ!アホでしょ?このバイク!最高~」って思ってました。てか、今もそう思います。
まあ、兎にも角にも、
バイク屋として歩き始めた自分の原点は、間違いなくあの「駐車場の隅での格闘」にありました。
タイパを追うなら迷わずプロ

最近は「タイパ(効率)」なんて言葉をよく聞きますが、それを趣味のガレージに持ち込むなら、正直、自分で修理・整備なんてやめといた方がいいと思います。
一回きりの修理を無難に済ませたいだけなら、迷わずプロ(信頼できるバイク屋)にお金を払った方が、結果的には一番得だと思います。
例えば、店に頼めば部品代込み1万円、1時間で済む修理があるとします。
一方、自分でやるとなると、5,000円の工具を買い、3,000円の部品を揃える。計8,000円。
これだけなら2,000円浮いたように見えますが、不慣れな作業に5時間、あるいはそれ以上かかったら、時給換算で考えれば完全に大赤字です。失敗して部品を壊せば、さらに高くつきます。
でも、自分はそれでいいと思っているんです。
「お前、プロの整備士なんだから効率命だろ?」 そう言われるかもしれません。実際、本業である農業機械の現場では、修理の遅れが農家さんの死活問題に直結します。現場では「止まった機械を最短で動かす」という、究極の効率が一つの正義です。
でも、自分のガレージは別なんです。

先に述べたように、店に頼めば1時間で済む修理を、5,000円の工具を買い、不慣れな作業に5時間かける。時給換算では大赤字です。
それでも「出来るなら自分でやれ」と言うのは、その5時間が「消費」ではなく「投資」だからです。
不器用な格闘の末に手元に残った「5,000円の工具」はその後一生の戦友になり、頭に刻まれた「5時間の格闘」は、二度目の修理のためのここをなります。
仕事=損失回避と収益の効率化
趣味=出来ない事への挑戦と自己投資
ここをはっきり分けることで、非効率な作業を「実はとても価値のあること」と自分は認識しています。
つまり、仕事での1時間は「損失を止め、お金を稼ぐ戦い」ですが、ガレージでの5時間は「自分という職人を育てる時間」なんです。この矛盾こそが、趣味の醍醐味だと思いませんか?
しかも自分で触ることができれば、バイク選びの選択肢は一気に広がります。それは、何物にも代えがたい「自由」を手に入れることなんです。

プロの知恵を拝借するための作法


「金を払えば客だろ」というドライな関係も、自分は好きではありません。まあ人それぞれではありますが…
今所有している大型バイク(GPZ900RやGSX-R750Rなど)に関しては、できる限り自身で整備をしますが、無理をせずプロの手を借りることもあります。
「プロなのに、誰かに任せるの?」
これも矛盾に聞こえるかもしれません。
でも、20年現場にいて痛感するのは「餅は餅屋」という現実です。
自分では正直経験が足りない部分や、内燃機の精密加工や、専用のジグがないとできない特殊な作業まで「意地」でやろうとは思いません。そこを誤って背伸びをして自爆するのは、マシンへの敬意と配慮が足りない。そう思っています。
ただ、プロに任せる時は「丸投げ」にはしません。 自分の大事な愛機をお願いするわけですから、整備してくれるお店にも礼節を持って接するようにしています。
時には差し入れを持って顔を出し、「ここ、どうやって直したんですか?どんな状態でした?」と食らいつく。その現役プロの話の中で自分のできることを少しずつ増やし、どうしてもできないことは自分より経験豊かなプロを信頼して託す。この「境界線」を引く潔さこそが、大人のバイクライフだと信じています。
そんな一歩踏み込んだ信頼関係の先に、本当の「いい仕事」が存在すると思うんです。


未熟さを気付かせた「道具」
「自分がどこまでできて、どこからが無理なのか」 それを手ごたえという形で教えてくれたのは「道具」たちでした。
誤解を恐れずに言えば、安物の工具を使っているうちは、ボルトを舐めても「工具がナマクラだからかな?」と、どこか確信が持てないまま効率の悪い作業を続けてしまう。それが一番危ないんです。
でも、信頼できる「物」を手にしていると、伝わってくる感触が違います。 「この道具を使って、これ以上力を入れたら絶対に折れる」 そのギリギリの感触を、道具が自分の手に直接教えてくれるような感じがします。
「あぁ、これ以上は自分の腕じゃなく、物理的な限界だ。ここから先は餅屋の領域だ」
そうやって、潔く、かつ納得してプロにバトンを渡せるようになったのは、間違いなく自分の未熟さを気付かせてくれた「仲間」たちがいたからです。
正直に言います。僕は、人様に高い工具を勧めるのがあまり好きではありません。 自分自身、最初は「556」と安物工具だけで十分だと思っていましたし、何より、限られたお金の中でやりくりする大変さは、あの5万円のNSRで嫌というほど味わってきましたから。
でも、農業機械の整備士として20年近く現場に立ち、自分のいろんな失敗をしてきて確信したことがあります。 「道具をケチってマシンを壊し、マシンそのものを嫌いになっていく」 ……そんな悲しい結末だけは、絶対にあっちゃいけないんです。
折らなくていいボルトを折り、ナメなくていいネジをナメて、ガレージの隅で立ち尽くす。あの「無駄な絶望」を防げるのは、根性やセンスよりも、その瞬間に手にしている「道具」だったりします。
一緒に沼にはまろうぜ!!
ガレージで今も「北西」の道を迷走しているのは、結局のところ、この「不自由」の中に本当のバイクの楽しがあるかもしれないと知ってしまったからかもしれません。
自分の手でマシンに命を吹き込み、自分の頭で考え、自分の失敗を自分で引き受ける。それは確かに「不自由」で、泥臭くて、効率の悪い作業です。 でも、その泥沼を潜り抜けた先に、店で買っただけのバイクでは決して味わえない、「自分だけの、本当の自由」が待っている気がします。
壊すことを恐れず、でも道具を味方につけて、一緒にこの泥沼で笑えればいいな!って思います。 自分の「宿題」も、まだまだ終わりそうにありませんからね(笑)


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